不況に苦しむ現在の日本経済。2009年11月には、日本政府が「デフレ状況にある」と公式に宣言した。現在の状況が悪化すると、物価下落と景気悪化がスパイラル的に進行する「デフレスパイラル」に陥る可能性を指摘する声も上がっている。
このデフレスパイラルを防ぐ手段のひとつとして、政府紙幣の発行を望む声がある。政府紙幣とは、日本銀行が発行する紙幣(日本銀行券)とは別に、直接政府が発行する紙幣のことである。
政府紙幣を発行することで消費を活発化させて、デフレ状態を緩和させることが期待できるとする政治家もいる。しかし、発行方法によっては、国内の経済格差を拡大させてしまうなどの問題点も指摘されており、実現にはさらなる論議が必要となるだろう。
日本初の政府紙幣は、明治政府によって発行された、「太政官札(だじょうかんさつ)」だ。
当時、戊辰戦争によって多額の費用を必要とした明治政府は、殖産興業のための資金が不足していた。欧米諸国に対抗するため、経済発展と軍事力強化による近代国家の形成を急いだ明治政府にとって、繊維産業や軍事産業などを柱とした産業育成政策である殖産興業の推進は必要不可欠だった。
1868年(明治元年)、通用期限を13年間と定めて、総額4,800万両の太政官札が発行された。戊辰戦争の戦費も含めた5,129万両の支出のうち、94%を太政官札でまかなったのである。
日本初の紙幣の登場は、国民には戸惑いを持って受け入れられていたようだ。国民が紙幣そのものに不慣れであり、政府への信用が強固ではなかったため、太政官札100両を金貨40両と交換するといったケースもあったという。このため政府は、額面以下で従来の本位貨幣と交換することを禁じたり、租税などに太政官札の使用を命じるなど、積極的な流通を働きかけた。
もしも太政官札が発行されていなかったら、殖産興業のための財源が確保できず、日本の近代化は大幅に遅れを取っていただろう。また、財源確保の手段を他国からの借り入れに頼っていたら、他国からの干渉を受けていたことも考えられる。
欧米の先進国に肩を並べる近代国家に押し上げるため、国の財政基盤を固める政府紙幣の発行はなくてはならないものだった。
1871年(明治4年)、「新貨条例」の制定により、通貨単位が「両」から「円」に切り替わり、旧1両が新1円とされた。新たな貨幣が登場したことで、太政官札の役目は終わった。流通期間は短かったが、現在の日本経済の基礎を築くために、太政官札の果たした役割は大きい。
第6回 政府紙幣「太政官札」の役割とは



